曹洞宗のお経Okyo
曹洞宗で読まれているお経は、本山や専門僧堂も含め、地域やお寺の歴史により種々あります。
全てを紹介し尽くすことが出来ませんが、ここではその代表的なものの一部を紹介させて頂きます。
摩訶般若波羅蜜多心経
中国の長編小説・西遊記に登場する主人公のモデルとなった唐時代の玄奘三蔵法師による訳が最も有名。
偉大な(摩訶)真実を得られる坐禅の実行(般若波羅蜜多)により、身心共に均衡の取れた状態となり、智慧(思考以前に直感的に働く正しい判断力である般若)を得て、宇宙万物の真相を観察し、一切は「空(ありのまま)」であると照見し、釈尊と同じ菩提の彼岸に到ることの心(要点)が示されている。
観自在菩薩(観世音菩薩)が、釈尊十大弟子の一人である舎利弗(智慧第一)に話しかけている形式を取っている。寺院での日常のお勤めや法要、法事の際にも頻繁に読まれている。
舎利礼文
釈尊や高僧の遺骨(舎利)を礼拝する時に唱える偈文(詩のような形を取っている文章)。作者は唐時代の不空三蔵法師と伝えられている。
古くは永平寺御開山・道元禅師の葬儀の際に読まれたとされ、今日では檀信徒の葬儀や法事の際にも頻繁に読まれている。比較的短く、三回以上繰り返して読まれることもある。
余談だが、米のことを「シャリ」というのは高僧の遺骨のかけらが光っているのに似ているため。
参同契
唐時代の石頭希遷禅師が作られた古詩。
「参」は体験する、「同」は同じということ、「契」は適うという意で、「参同契」は釈尊と同じ坐禅の境地を体験するという意。また、一説によれば「参」は違うという意でもあるとのこと。こちらの解釈でも文章の内容と合致する。
禅師ご自身の徹底した坐禅の体験を通して掴んだ宇宙観、差別の現象と平等一如を様々な表現で説いてある。最後には「仏道を志す人よ、どうか時間を無駄に過ごすことの無いように」といった後輩へのご親切な言葉も拝見できる。
曹洞宗では宗旨を説いた聖典として珍重されている。
宝鏡三昧
唐時代の洞山良价禅師が作られた歌曲で、古来は宝鏡三昧歌といった。
「宝」は価値のある、尊いもの、「鏡」は真実の姿を映し出すもの、「三昧」は坐禅の境地の意で、「宝鏡三昧」は坐禅の境地そのものを表している。
一切衆生がそれぞれ持っている智慧を開発させようと慈悲心より書かれたもの。道元禅師は日本へ戻る際に本師の如浄禅師より本書を付与されたという。
参同契と同じく珍重され、参同契に続けて読まれることが多い。
修証義
明治二十年頃、大内青鸞を中心とする曹洞宗扶宗会が道元禅師の代表作「正法眼蔵」より、修証(真剣に修行をすることが即ち悟りであること)に適った文章を抜粋して作った「洞上在家修証義」を、さらに永平寺の瀧谷琢宗禅師と総持寺の畔上楳仙禅師が編集し直されたもので、明治二十三年に公刊された。正式名称は曹洞教會修証義。
五章三十一節から成り、曹洞宗の安心の標準とされ、法要、法事で頻繁に読まれている。さらに踏み込まれたい場合は正法眼蔵そのものに触れられる事が好ましい。
大悲心陀羅尼
正式名称は「千手千眼観世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼」と、かなり長い。
陀羅尼とはいわゆる咒文のことで、秘密語のこと。
その内容を見ると、この咒は観世音菩薩が大衆の為に説いたもので、この神咒を唱えるものは広大な菩提心(悟りを求める強い気持ち)を起こし、一切の衆生を済度する誓いを立て、また世間の病気を全て治してしまい、諸々の悪鬼、外道を制するなどとしている。
日常のお勤めの際や葬儀などの際に頻繁に読まれている。
消災妙吉祥陀羅尼
前述の大悲心陀羅尼と同じく咒文である。
仏の徳は比類なく、如来の境界の不思議を賛嘆し、衆生を教化して皆ことごとく仏境界に入らしめることを説いている。
朝のお勤めや祈願・祈祷の際に読まれることが多い。本文は比較的短く、三回以上繰り返して読まれることもある。
観世音菩薩普門品偈
多くの宗派で重んぜられ、道元禅師も非常に珍重された「妙法蓮華経」中の「観世音菩薩普門品」の後半に書かれている偈文。
心に「観音力」と念じればどんな困難な状態からも救われると様々な表現で説かれており、釈尊がこの普門品を説いた時には、説法を聞いていた八万四千人の衆生が皆、この上ない悟りを求める気持ちを起こしたという文章で終わっている。
如来壽量品偈
「妙法蓮華経」中の「如来壽量品」の後半に書かれている偈文。
偈文の前の部分では、釈尊は衆生を救済するために説法をするが、聞く側が慣れてしまい説法を真面目に聞かず、教えに従わないことを憂慮されて。そこで彼らに仏への渇仰心を起こさせるために方便として入滅(亡くなること)の姿を見せた、といったことが書かれており、偈文ではこれを繰り返し述べている。
観世音菩薩普門品偈と並び、日常で頻繁に読まれている。
如来神力品
妙法蓮華経に収めされており、妙法蓮華経の総まとめと言われている。
その内容は、釈尊が弟子たちに十種の神通力を示し、如来の一切の「正法」、「衆生救済力」、「秘密の教え」、「修行の実践方法」が、全てこの妙法蓮華経に書いてあると説き、いくら神通力を示してみても、この妙法蓮華経が説かれる時に生じる功徳を言い尽くすことはできないと強調されている。
道元禅師は遷化(僧侶が亡くなること)される直前に、療養されていた部屋で神力品を読みながら経行(足の痺れや眠気を紛らわすためのゆっくりとした歩行)をされ、またその部屋の柱に神力品の一節を書き残し、「妙法蓮華経庵」と名付けたと伝えられている。
仏遺教経
釈尊が入滅される直前に諸々の弟子たちに最後に説いた八大人覚(少欲・知足・寂静・精進・不妄念・禅定・修智慧・不戯論)の教えを記したもの。正式名称は「仏垂般涅槃略説教誡経」。
自分が滅した後は波羅提木叉(戒)を本師とし、五根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を制し、少欲知足にして常に閑処に道を修し、不放逸にして精進すべきことなどがねんごろに教えられている。
多くは枕行、通夜の際に読まれている。